本講義は、共通の文化的テーマについて毎回異なる教員が担当するオムニバス形式の講義です。各教員が自らの専門分野から様々なアプローチを試みることにより、文化研究の多様さや面白さを伝え、学生諸君の知的好奇心を育むことを目的としています。本年度は、見るというテーマから文化について考えてみたいと思います。 視覚は生理学的な感覚機能の一つですが、見るということには文化的・社会的な認知の行為が含まれています。日本語の「見る」や英語の"see"には、外界を感知するだけではなく、何らかの判断を加えて「わかる」ことが含意されているのです。「見れば、わかる」という言い方は正しくもあり、誤りでもあります。人は視覚によって、他の感覚機能によっては得られない多くの情報を得ることができます。ときには視覚化されたものより、視覚化されなかったものから、隠された意図を読みとることもできます。しかし、人は自らの期待や偏見にもとづいて見たいように見がちであり、人によってわかることの位相は同じではありません。見られる側の発するメッセージと見る側の受け取るメッセージとが同じであるとも限らないのです。見たものをわかるためには、それを生んだ文化や社会に対する少なからぬ理解を必要とするのです。 具体的には、見るという言葉の概念から、邪視信仰、インドネシアの影絵芝居、中国の伝統演劇、スポーツにおける見るという行為、スペイン文学やアメリカのエスニック文学にあらわれた特定の視点、日本の前近代の他者認識、中国社会の面子(メンツ)という価値観、ステレオタイプ、日常生活における社会学的なものの見方、体験的学習等の問題をとりあげる予定です。(コーディネーター:北原賢三・吉村稔子)
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