歌舞伎の女形のように、近代初期英国の舞台では少年が女役をつとめた。なぜ互いに異なる東西文化において男が「女」を演じることができるのか、ジェンダーとはなにかを考える。 『十二夜』は、異性装をテーマとしたロマンティック・コメディーである。(シェイクスピアの舞台では少年俳優が演じた)女主人公ヴァイオラは男装してシザーリオになる。だが彼女には双子の兄セバスチャンがいることから、人違いが生じる。変身の重層構造は、ジェンダーの問題を浮き彫りにする。 あわせて、日本におけるシェイクスピア劇上演の可能性を考察するため、蜷川幸雄演出による『十二夜』の現代版と歌舞伎版をとりあげる。現代版ではヴァイオラとシザーリオの二役を女優が、セバスチャンを男優がそれぞれ演じている。一方、歌舞伎版では尾上菊之助が、斯波主膳之助[しばしゅぜんのすけ](セバスチャン)と琵琶姫[びわひめ](ヴァイオラ)、男装した獅子丸[ししまる](シザーリオ)の三役を早替わりで演じる。歌舞伎版は出演者が全員(もちろん)男優である点で、少年俳優がいた近代初期の上演形態に近いが、当然、表現形式は異なる。日本という異文化のコンテクストにおいて、シェイクスピアを上演することにはどのような文化的な意味があるのか、異文化プロダクションの可能性をさぐる。 シェイクスピアの『十二夜』のテクストを読みながら、『十二夜』の現代版と歌舞伎版の舞台を比較して、ジェンダーの表象を分析する。
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