本学のような外国語大学で学ぶ学生諸君にとって,<翻訳>とは比較的身近な分野であり,将来,翻訳業を希望する学生もいるであろう。『広辞苑』で<翻訳>を引いてみると,「ある言語で表現された文章の内容を他の言語になおすこと」とある。この簡潔な定義をみると,翻訳とは,ある言語の文章内容を他言語になおす作業であり,語彙,文法などに関する知識や言葉を‘置き換える’ための技術が求められるといえよう。もちろん言語に関する知識や技術が重要なのは言うまでもないが,翻訳はそれだけに終わるものではない。つまり,翻訳は複数の文化との出会いの場であり,翻訳によって文化が変容されることさえあるほど重要な作業なのである。このような前提のもと,本講義は,文化という大きな枠組みから翻訳をとらえ直すことを目指す。
ある作品が翻訳されることによって,その作品は別の文化的背景に移しかえられて,その中で再創造されることになる。オリジナルの作品が元々の文化的な背景の中で持っていた意味合いや役割が,新しい文化の中にそのまま反映されるとは考えにくいであろう。また,誤訳と誤訳から生まれる誤解もつきまとうであろう。だが,新たな文化的,言語的環境のもとで,翻訳された作品がオリジナルの作品が持っていなかった役割を演じたり,誤訳や誤解が元々の文化的背景には存在しなかった新たな意味を創造し,文化を変えてしまうことさえありえる。つまり,翻訳は新たな創造を生むこともあれば,文化を変容させてしまうことさえもあるのだ。
本講義は各回の担当教員の専門分野から,<翻訳と文化>についてオムニバス形式で講義を展開する。受講者には,1) 技術としての翻訳だけでなく,文学,哲学,言語学などで論議される<翻訳の不可能性>問題なども含め,そもそも翻訳とは何なのかについてまずは考察してもらいたい。そして,2)文化を翻訳することが何をもたらすのか,翻訳によって文化がどのように変容するのかについても考えていただきたい。
コーディネーター:菊地達也・武田明典
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