日本倫理思想史IB
  武士の思想
KUBOTA KOMEI 
窪田 高明
2単位 
1〜4年 
前期 
50300302

武士は約700年間にわたって日本の支配者であった。日本人はその事実を当然のこととして受け止めているため、この事実がきわめて異例のことであることに気付かない。しかし、武士が戦闘者、すなわち軍人であり、軍人の政権は平常な状態での支配の形としては例外的なものなのだ。戦闘の専門家である軍人が、異なる領域である統治、行政をも長期にわたって担い続けることは本来は不適切である。
日本では、このような例外的な政治体制が長く続いた上に、その期間に社会の成長も維持されてきた。これはさらに奇妙なことである。軍事政権では、軍事が優先されるため、経済や生活が犠牲になるのが普通なのだ。これを見ても日本の武士が単なる戦闘者ではなかったことが推測される。
武士のもう一つの特色は、その精神的な評価である。武士は戦闘者としての優秀性だけではなく、人間一般の道徳的な価値の体現者と見なされてきた。暴力的な存在である戦闘者が、同時に道徳的な存在であるということは、けっして当然のことではない。
この授業では、武士とその思想の変化を時代を追って学ぶことにする。
(以下の計画の「回数」は内容の章立てであり、かならずしも各回の授業がこのとおりに進行するわけではない。)

評価方法: 期末に試験を行う。ノート、資料の持ち込み不可。

注意事項: 参考文献等については授業中に示す。

授業計画――――――――――――――――――――――――――――――
1.武士という存在の特殊性
日本人にとっては当然のものと思える武家政権の特殊性を考える。
2.初期の武士−−平将門
武士の発生に関する二つの考え方。
平将門が与えた衝撃。
3.武士の台頭−−保元平治の乱
武士はいかに実力を蓄えたかを見つつ、歴史における戦いの表層と基層を考える。
4.戦闘者の倫理−−平家物語
無常観を背景にしつつ、戦闘者の生き方はどうのような倫理観を生み出していったのか。
さらには、南北朝、室町、戦国と、武士の思想はいかに変質したか。
5.近世の武士の矛盾
江戸時代になると武士は政治権力を完全に掌握したが、それは同時に戦闘者としての武士による戦闘の否定という異常な事態をもたらした。もっとも安定した武家政権がみずからの本質を否定するという矛盾を考える。
6.士道論の成立
統治者としての性格を前面に押し出した新しい武士道論を士道論という。士道論は、道徳的な人間を理想とする儒学を基礎として、身分としての武士を正当化しようとする。
7.武士道の変質
士道論に対して、武士の根拠が戦闘者としての武士にあることにこだわり続ける思想を武士道論という。その代表は『葉隠』である。『葉隠』の武士道論は、自己を戦闘者であると認識しつつ、一方では戦闘なき時代を生きる思想である。
8.武士の矛盾−−赤穂事件
歌舞伎などの忠臣蔵で有名な赤穂事件は、近世の武士の抱えている根本的な矛盾が、主君の刃傷という事件を契機としてあらわな形で噴出した事件であった。人々はそれをどう考え、どう評価しようとしたのか。
9.武家支配の破綻
近世の武家支配の矛盾は、武士階級の貧窮化をもたらす。貧窮化への対応は、まずは倹約という形をとるが、やがて藩の財政再建の努力という形をとる。それを代表する上杉鷹山の事例を考え、その成果と限界を考える。
10.反武士的な武士−−吉田松陰
武士が支配する社会の矛盾を基本的に解決するためには、武家支配そのものを廃棄するしかない。その自覚は19世紀になって急速に進行する。しかし、近世的な武家支配の体制を否定するものも武士であった。その代表である吉田松陰の思想を学ぶ。
11.近世の武士道−−新渡戸稲造
現在の武士道への関心は、新渡戸稲造の著書『武士道』によるところが大きい。しかし、新渡戸の武士道は、実際の武士道とはまったく異なる思想であった。その特質と背景、さらにはその現代への影響を考える。