明治以前の日本には「社会」という言葉はなかった。それまでの日本にあったのは、娑婆、世間、仲間、世の中などであった。現代でも本当に日本に「社会」が存立しているかどうか、必ずしも明らかではない。しかし、これは何も日本だけの問題とは限らない。「社会」というのは societyの訳語であるが、英語にも、community, association, commonwealth, republic等々、societyの同義語は多い。また、ドイツの社会学者によってなされた Gesellschaft(利益社会)と Gemeinschaft(共同社会)という区別も重要である。「社会」という言葉には実に多様な意味が込められている。 政治的社会思想としては、現在なお近代ヨーロッパの「社会契約論」が中心的意味を有しているが、そこでの問題は、主に国家の正当性を論証することであり、議論の中心は、もっぱら正しい秩序としての「正義」論にあった。だが、人間は政治的正義や経済的利害だけで「社会」を作るものではない。恋愛関係や「愛」国主義もまた、ある種の「社会」を形成する。 本講では、まず「愛」に注目して、その多様性とそれがもつ社会秩序形成力について考えたい。英語の表現にも loveをはじめ、affection, attachment等、多様な「愛の形」がある。古代にまで遡ると、エロース、アガペー、フィリア、カリタスといった言葉によって使い分けられていたことが分かる。「正義の秩序」との対比を念頭に起きながら、これら「愛の秩序」について考えていきたい。
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