わたしのソウルフード-食べ慣れたものから普段着の文化をさぐる⑥

第6回:ロバート・デシルバ先生(国際コミュニケーション学科:アメリカ、ニューヨーク出身)

 

茶色の紙袋に入れて、毎日持って行きました

 

-ピーナッツ・ジェリー・サンドイッチ

 

小学校はお弁当を持って行った

 わたしはニューヨークで育ちました。その頃は、小学校には給食も学食もなかったので、お弁当を持って行きます。みんな茶色の紙袋にサンドイッチを入れていました。サンドイッチの具はいろいろですが、ピーナッツバターとジェリーが定番でした。ピーナッツバターを塗ったパンと、ジェリーを塗ったパンを合わせて一つにしたものです。

 学校でミルクのカートンを買って、学年別のカフェテリアで昼食をとります。友だちと取り替えっこすることもありました。ときには、りんごやバナナのような果物を、母が付けてくれることもあります。サンドイッチの中味も、ハムだったり、エッグサラダだったりすることもありました。でも、甘いジェリーが、子どもの好みに一番合っていたのだと思います。

 ジェリーは、ジャムと似ていますが、果実成分が入っていない食品です。いろんな種類がありますが、グレープ・ジェリーが一番普通かもしれません。グレープ・ジュースで有名なウエルチ製が当時は一番有名でした。

 

学校ではチューインガムは禁止

 サンドイッチと一緒にクッキーを食べるのはオーケーです。でも、チューインガムは禁止だったような気がします。少なくとも高校では禁止でした。チューインガムを噛んでいるとフランス語の発音ができないので、先生がゴミ箱を持ってきて捨てるように注意していました。

 高校では、ソフトドリンクも禁止でした。自動販売機はあって、スニッカーズなどが買えました。ただ、高校では学校の外に出ることも許されていますし、16歳から自動車で登校してくる生徒がいますから、外で飲んだり食べたりすることはできるのです。

 

移民たちは祖国の味を持ち込んだ

 アメリカは多くの人種が集まっていますし、さまざま国からの移民もいます。

 そうした移民が先祖からの料理をずっと伝えていて、それが味のバラエティを生んでいます。南部のフライドチキンなどはその代表でしょう。わたしの育ったニューヨークには、アフリカ系、ユダヤ系、アイリッシュ系、イタリア系などの人々がいました。わたしの家も、祖父母の時代にポルトガルから移民してきた一族です。

 イタリア系のパン屋には、カノッリというシチリア産の甘いお菓子を売っていました。高校3年生のとき、オハイオ州クリーブランドに引っ越したのです。そこには東ヨーロッパ出身の人たちが集まっている地区がありました。ポーランドの名前のついたいろいろなソーセージがあったのを覚えています。特にクリスマスになると、そうした先祖の味が並び、さまざまな特色が見られます。