リレーコラム・2008.1.
「韓国文化概論」 では何をするの??
林史樹
高校を卒業したばかりの大学
1年生が「韓国文化概論」と聞けば、たぶん「韓国文化」の「概論」講義と考えるだろう。そこが落とし穴でおおよそ大半の学生は講義に出席して失望する。なぜなら、担当教員が「‘韓国’(過去の‘朝鮮’も必要に応じて含まれる)という範囲でみられる事柄を用いて‘文化’というものを‘概説’する」だけで帰ってしまうからである。ここまで聞いても、多くの高校生はピンとこない。少し乱暴に「韓国にまつわる題材をつかった‘文化論’」といえば、わかりやすいかもしれない。それでは、なぜ「韓国文化」の「概論」を行わないのだろうか。いや、行えないのである。
「韓国文化」といったとき、「韓国」と「文化」に分けて考えられる。「文化」については、以前におおよそ説明したとおりである。これについても、大衆文化や美術工芸品を
思い描く学生の期待を裏切ることになる。さらにここで問題にしたいのは「韓国」である。通常、ここで用いる「韓国」とは、1948年
8月15日に、朝鮮半島の「南側」で樹立された「大韓民国」を指す(こういうと必ず古代の三韓時代に通じる話をする人々がいるが)。決して地域としての「朝鮮」とは異なる。つまり、「韓国」がどの範囲を示すかが問題となるのである。そうなると、キムチは「韓国文化」かといえば、朝鮮民主主義人民共和国にもみられる食文化で、「韓国」に限定できなくなる。また、取り立てて韓国建国以降に限定されるものでもない。地域によって「キムチ」も多様である。
それでは「コリア文化概論」にすれば、問題はないのだろうか。キムチと聞いて連想する赤色のもととなる唐辛子は、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に朝鮮半島に持ち込まれたとするのが一般的である。それが料理に用いられるようになったのは、その後100年がすぎた1700年以降ではないかといわれる。それ以前には、「コリア」に存在しなかったのである。さらに1990年代末には日韓でキムチ論争が起きたし、現在では中国からの輸入キムチが韓国の食堂を席巻するなど、「コリア」という枠にとどまらないため、「コリア」ともいいにくい。これは何もキムチだけにかぎらない。空間的・時間的広がりをもつ文化を、特定の地域やましてや国家名を冠した「○○文化」で切り取ること自体が難しいのである。
ことさら「韓国文化」と銘打った書籍があふれ、各地の大学で「韓国文化論」が開講されている。少なくとも大学機関では「ほら、みてくださいよ、これがキムチですよ、‘韓国文化’ですよ」、「今度はチマチョゴリですよ」と実体化させるようなことはいわないだろう。同様に「○○年に××がありました」だけを記憶するであれば、それは歴史学でなく、高校の社会科授業である。これらのことが知りたければ、眉に唾をつけながら韓国コーナーに転がっている書籍を
2-3冊も読めば十分である。語学(決して言語学でなく)などのトレーニング科目が「カナタラはこのように書きます」などと授業するので、どうしても勘違いをしがちである。来年度もまた「韓国文化概論」の説明から始まるのである。