リレーコラム・2007.10.

日本語と韓国語が似てるって?

浜之上幸

 

 

 3年ほど前に,フジテレビのトリビアの泉から収録の人が来て,日本語で「微妙な三角関係」というと,そっくりそのままの意味で韓国語になるということについて,「確かにそうである」と証言せよということがあった. だが,漢字語が羅列されたフレーズにおいて,日本漢字音と朝鮮漢字音が似た音を持つことがあるという事実を知る者にとっては,何ら「へえ〜」というほどのことでもない。似ていて当たり前なのである.

 双方の言語において漢字語が総語彙の4割から5割を占める漢字語の発音が似ているのは,それぞれの言語において,中国漢字音が多少変化したからに過ぎない.  しかし,このレベルを超えて,日本語の和語と韓国語の固有語の間に何らかの系統的な類似性を見出そうとする作業は,この両言語に厳密な意味での音韻対応規則が成立(ちなみに,印欧語は,この対応規則が成立した幸福な例である)していないことからして,絶望的である. “アルタイ系言語”という壮大なロマンを設定し,その中に日本語と韓国語隣り合って含めるのは今の学問の方法論のもとでは,タブーなのである.

 ある人とある人が似ているとして,それが「血は水よりも濃し」なのか,「他人の空似」なのか,「似たもの夫婦」なのか,「物まね」なのか,様々な場合があるように,ある言語とある言語の間にも,同様な似方がある. 日本語と韓国語の場合には,「血は水よりも濃し」とは決して言わないのが賢明である. それを言った瞬間,政治への利用が行われてしまう危険性をはらむことを我々は十分警戒しておくべきである.