異文化コミュニケーション研究所
    Intercultural Communication Institute

 
第2日目・第3日目(午前)

              ワークショップ
                 1.「アジアはどう報道されてきたか」 永井 浩氏
                 2.「韓国における日本の大衆文化の受容と葛藤」 李光鎬氏
                 3.「日米の経済進出とタイの対応」 E.C.スチュワート氏
                 4.「インターネット文化とアジア」 浦山重郎氏
                 5.「ジェンダーは国境を越えられるか」 ギブソン松井佳子氏
                 6.「ハワイ・東西センターの足跡と課題」 E.クラインヤンズ氏
                 7.「身体運動とリズムを使った異文化研修」 川上ホーリ氏

               オプショナルプログラム
                 「ベトナムの夕べ」 樋口容視子氏 

                  各ワークショップは、3回のセッション、(A)第2日目午前、(B)第2日目午後、
                  (C)第3日目午前、のうち、2回ずつ行わました。



        1.「アジアはどう報道されてきたか」 神田外語大学教授 永井浩氏

セッション(A)
元毎日新聞のアジア報道専門記者としての体験から、日本のマスコミのアジア報道の「歪み」について語った。日本人のアジア観は、欧米人のアジア観に影響されていること。「アジアはひとつ」という固定観念が、民族、宗教、経済、文化等どの面をとってもきわめて複雑なアジアを直視する目を曇らせてきたこと。「遅れているアジア」という偏見が、80年代に突如として「21世紀はアジアの時代」という見方に変わり、97年の経済危機以降は再びアジア軽視に陥っていること。先の戦争に対しても、真の意味の反省はないこと等が強調された。これに対しフロアからは、「日本のアジア報道は『戦後民主主義』の呪縛を受け過ぎており、真実を伝えていない。この方が問題だ。」との指摘がなされた。そこから「報道の真贋を見分ける力(メディアリテラシー)」を高める必要性に話が及び、テレビ局出身の司会者は「メディアのアジア認識『能力』が問題」と語った。参加者の大多数が討論に加わり、抽象論は少なく、新しい発見を含むセッションとなった。
(城西国際大学 鈴木有香記)

セッション(B)

日本のメディアのアジア報道を分析することにより、我々のアジアに対する認識を検証し、これからの対アジア関係のあり方と可能性について考察した。これまで日本のメディアが伝えてきたことは、アジアを欧米の経済市場としてのみ捉え、その枠組みの中で日本が取るべきリーダーシップ、といった欧米寄りの、また国家利益中心の報道であった。そこには自由競争、経済独裁によって引き起こされた社会のひずみ、落ちこぼれた弱者など、陰に追いやられた人間へのまなざしは見られない。このような視点はまた、我々自身のアジアに対する態度を反映したものである。しかし一方では、環境、労働等に関わるNGO、様々なボランティア活動などを通して市民は国境を越え、直接アジアの人々と対等な関係を作り始めている。多用な文化・価値観を持つ人間社会としてのアジアとの新しい関係の中で、もはや限界の見えている欧米主導のグローバル市場経済ではない、新しい経済発展モデル、またあるべき人間社会を共に探っていく時期がきていると感 じた。
(名古屋YMCA学院 水谷広子記)




                                                                         


        2.「韓国における日本の大衆文化の受容と葛藤」 東京工科大学助教授 李光鎬氏

セッション(B)
韓国と日本は「一衣帯水」の国であり、最も近い隣国でありながら、日本ではあまり知られていない事も多く、今回のワークショップでは、韓国における日本文化の受容とそれに伴う問題等、今後の日韓の関係のあり方について考える機会を持つことができた。まず、韓国における日本の大衆文化解放をめぐる歴史的経過についての報告と、氏自身が予想する解放の肯定、否定的結果についての言及があった。韓国では、1965年の日韓国交正常化の後、98年に日本の大衆文化の第一次解放、99年に第二次解放という政策がとられている。韓国での世論調査によると、解放に対する否定的な意見が減少し、また解放の肯定的結果としては大衆文化のレベルアップや文化産業の活性化、否定的結果としては暴力、性描写や輸入競争による経済的損失、文化産業への打撃等が挙げられているという。李氏の報告の後、主に対日イメージに関する韓国のマスコミの影響と役割について活発な意見交換が行われた。
(信州大学 徳井厚子記)

セッション(C)

日本大衆文化の開放の動きが本格的になるなか、世論は、賛成・反対がともに半数に分かれており、自由な文化交流や、友好関係などを理由とした賛成派に対し、反対派は日韓関係の歴史的特殊性、日本文化の過激な性的・暴力的描写に対する警戒などをあげていると述べ、こうした状況のもと、現在韓国における日本文化の開放は、国民感情を害しないものから徐々に進められていると語った。また、開放による肯定的な結果だけではなく、経済的な影響や自国文化否定といった、否定的な結果も多く予想されるため、解決すべき問題はまだまだ多い。さらに、韓国にとって日本文化は単なる外国文化ではないという特殊性ゆえに、受容により個々人の内面に様々な葛藤を引き起こすことも予想され、日本大衆文化の開放が韓国にとっていかに難しい問題であるかがうかがえた。質疑応答では、前々日に「台湾における日本の大衆文化」というタイトルで研究発表を行った頼氏もワークショップに参加していたため、韓国と台湾との違いについても質問が出、活発な意見交換が行われた。
(東京女子大学大学院 貴島弓雅記)




                                                                         


        3.「日米の経済進出とタイの対応」 名古屋市立大学客員教授 E.C.スチュワート氏

セッション(A)
上座部仏教の概念を含む内容であるので、全員が事前に配付された20頁を越す資料をあらかじめ読んでおくことを前提に、発表が始まった。本題に入る前に重要な文化に関する基礎概念について大変活発な質議応答を含めて進行した。“Risk”に関するemotionalな分野、pain,fear, anger, etc.についても、それらが異なる文化から見た場合には、意味するところにずれが生じることを参加者の間で確認した。“Love”という概念も、文化により異なる。Positive/negativeという尺度も、また異なる。日本では「我慢」という精神的行為も、まるで宗教的苦行のように達成目標にすらなり得る。日本女性は、はたして「我慢強い」か。タイは過程重視文化である。また日本もそうである。アメリカは二分法をしばしば用いるが、タイには存在しない。カルマと捉え、二分法にはならない。タイは、仏教国であると同時に仏教伝来よりも古い習俗に富む国である。その古層にある民間信仰は、カルマとどう関わっているのかという疑問が最後まで残った。
(桃山学院大学 遠山淳記)

セッション(C)

タイのリスクに対する分析を例としてグローバル社会において特定の社会現象に対する認識をする際、異なった文化の相違が重要な視点であることを提起した。同氏は経済的損失、内乱、犯罪、環境汚染、国家の安全保障、自然災害などを広い範囲でリスクとして捉え、リスクに対する認識の優先順位がその社会の価値判断によって決められると指摘した。タイにおいてはKarmaの主観的また因果的な認識論が主要な宗教として人々に大きな影響を与えている。それはリスクの防止と対応においては、主な投資国からきたアメリカ人や日本人と大きな認識上のずれが生じたことの現象とその原因を分析した。また、社会学と心理学の文化に対する理解について言及し、異文化認識と理解のために有力な手段を提供してくれた。参加者は、言語学、心理学、社会学、人類学などさまざまな視角から、タイに限らず、より広い範囲に関わる諸現象に対する異文化の認識に関して講師と議論を交じた。
(日本福祉大学 陳立行記)


                                                                         


        4.「インターネット文化とアジア」 麗澤大学教授 浦山重郎氏

セッション(A)
まず、米国の通信メガキャリア「新ワールド・コム」の誕生が、世界の通信業界の単なる再編成だけでなく、グローバルに発展しつつあるインターネット分野を取り込んだ狙いをもつものであることを、この数年来の「ワールド・パートナーズ」「コンサート」「グローバル・ワン」の国際アライアンスの形成と関連付けて説明した。しかし、この1、2年、映像・データ中心のトラヒックの急増からグローバル・ネットワークにおける情報・金融ハブの争奪をめぐって新国際アライアンスの形成が進行中である。他方インターネットを利用した電子商取引の急成長により、従来の金融システムは電子マネーやネット・ビジネスの導入により大きく変化している。この報告に対して参加者から記号としての電子マネーと情報文明との関係、東アジアの情報・金融ハブの見通し、米国発生のインターネット文化とアジアとの相違など多くの切り口からの質問があり、アジア独自のシステム・制度の構築の必要性の言及もあった。
(星陵女子短期大学 白崎光男記)

セッション(B)

基調講演・で、近代文明が「第三の進化局面(情報社会革命)」が、「第二の進化局面」をさらに発展させつつ、「第三次産業革命」へと展開していく情況を聴いたあと、今やインターネットの激増で、その集中化と分散化を繰り返しながら、それこそグローバルに拡大しつつある情報ネットワークが、諸文化の融合・同化・交流に及ぼす画期的な意義を充分味わい知って、大いに啓蒙された。「新ワールド・コム」誕生による、ローカル、長距離、国際の諸通信網並びにインターネットの包括達成(1996年)を折に、バックボーン・ネットワークを中心としたインターネットシステムの展開を辿りながら、国際戦略アライアンスとハブ戦略について学んだ。情報通信分野におけるワールド・パートナーズ、グローバル・ワンおよびコンサートの伝統的国際アライアンスの存在を背景において、IP網を中心とした新国際アライアンスの形成、特に、その日本への“侵攻”に対して、情報ハブと金融ハブでの驚異的な展開を知らされて、情報産業と金融産業の融合が進行しつつあるという傾向に着目した。大いに啓蒙された、と同時に、これまで私なりに持ち合わせてきた「文化論」さらには、文化(そして文明)を、意識的であれ無意識的にであれ、構築していく人間、つまり「人間観」への底知れぬチャレンジを受けた、というの が実感である。
(九州ルーテル学院大学 石田順朗記)



                                                                         


        5.「ジェンダーは国境を越えられるか」 神田外語大学助教授 ギブソン松井佳子氏

セッション(A)
知的で刺激的なレクチャーはもとより、男女双方からの活発な意見交換もみられ、小規模だが充実した内容となった。はじめに性別特性論が強く主張された時代から、性差は社会や文化的環境による「すりこみ」によって決定されるのだとする“gender”概念の登場まで、歴史的流れを押さえた上で、公的領域における「婦人の三権」(選挙権、労働権、教育権)獲得から、私的領域における「女性の三権」(性的自立・自己決定権、家事労働の分担、家事労働の有償化)獲得へと議論が展開していったフェミニズムの流れを概観した。そして私たちは今、“human rights”、“women‘s human rights”及び“women’s rights”の関係性を検討すべき段階であるという講師の指摘は、これからのフェミニズムを考えるに当たり大変示唆に富んだものであった。様々な局面においてジェンダー・フリーが叫ばれる昨今だが、その一方で強い愛情をも感じさせる性差は常に心情的な揺れを喚起させるものであることが、意見交換の中でも一部見られたことは印象深い。
(藤女子大学 伊藤明美記)

セッション(C)

「ジェンダー」とは生物学的性差ではなく、文化的、社会的、そして心理的に意識される性差である、という一般的な共通認識を確認し、ジェンダーを語る上で欠かせない多岐にわたる図書の紹介と、ジェンダーに対する様々な意識の歴史的な説明がなされた。つまり産業化により公的領域に入る「国民」は男性のみであり、女性は“reproductive function”として私的領域が割り振られ、ジェンダーの固定化・硬直化が生み出されたが、それを脱構築して考えようという流れである。次に日本の近代を振り返り、作家や女性運動家の紹介と共に「母性保護論争」を通し、女性の特性を理由として女性保護を肯定すべきかどうかという問題の指摘があった。フェミニズムが国家による性の管理と抑圧を指摘した訳だが、女性が国民化された上で、近代の社会の枠組みの中での真の「女性の開放」、「平等」とは何なのかという問題提起がされた。“Inter-dependence”と“mutual respect”という意識を持ち“symbiosis”(共生)していくことが大切ではないかとの提言があった後、忌憚のない意見が次々と出され、刺激に満ちたワークショップが締めくくられた。
(亜細亜大学杉橋朝子記)



                                                                         


        6.「ハワイ・東西センターの足跡と課題」 E.クラインヤンズ氏

セッション(B)
個人的なそして公的な体験談など多くの例を交えつつ、世界が一つの共同体として相互依存しながら発展していくための態度について、言語学者あるいはバイカルチュラルの立場から話した。氏が所属している東西センターは、太平洋を挟んだ国々を一つの共同体(Pacific Community)と見なし、そのための掛け橋となるような活動を推進しようという考えのもとに米国議会の手により1960年にハワイに設立された。共同体の一員としてまず意識すべきことは、ある国で何かが起こると別の国にもその影響が及ぶのでお互いに協力し合うことが必要だということである。より良いものを目指しての競争も、協力という大前提のもとで行わなければならないと氏は強調した。さらに、氏は共同体として互いに理解し合うには、相手の行動を自分の文化基準で判断するような自文化中心主義であってはならない。また、国という枠組みに基づいた文化基準からその行動を解釈する前に、相手が一個人としてどのような経験をしてきたかに重きをおいて理解しようとする態度は最も重要であると述べた。束縛のない絆(Bonds without bondage)をモットーに、世界を一つの共同体と見なし、相互依存しつつ問題を解決していく姿勢を強調していたのが印象に残った。
(西南学院大学大学院 中田亜紀記)

セッション(C)

His workshop focussed on the processes of enculturation, the features of ethnocentricity and a brief account of the role and purpose of the East West Center during his tenure as President. He also presented a model of cultural learning: introducing both cognitive and affective as well as active domains. While each of the domains interacts with the others, a person does not necessarily learn or proceed in a lock-step fashion. Dr. Kleinjans explained that while he was President of the EWC, he tried to develop an institution that:(1) was not bound by a conventional discipline-based structures, so that engineers could work easily with linguists and economists; (2) focused on developing person-to-person relationships in universities and other institutions around the Indo-Pacific Rim; (3) was not reliant on the provision of technical and other material aid in achieving the goals of friendship and peace; (4) focused on human, not economic development, and (5) avoided, strenuously, the notion that the Center was 'helping' others, which he noted, reeked of arrogance and condescension.
(NIME Ed Brumby)
 


                                                                         


        7.「身体運動とリズムを使った異文化研修」 神田外語大学非常勤講師 川上ホーリ氏

セッション(A)
小人数グループで日本語を主に用いて行われた。最初は、非言語コミュニケーションについてのブレインストーミングから始まり、右脳・左脳の情報処理や日常生活のリズムについて解説があった。そのあと、体育館に移り、指の動きなどの運動を練習したあと、オレンジを使って実際に動きやリズムを体験した。また、2グループに分かれて運動やリズムを練習したあと、2グループ一緒に対称的な運動とリズムの組み合わせを体験した。「右」と「左」について、「右」が「正しい」という社会における意識や「常識」、動きの敏捷さと「勤勉さ」との関係、居住地と時間の流れ方の違いなどについても話題に出たほか、そもそも体を動かすことに対する好みや、期待の違いなどにも話題が及んだ。非言語というのは言語にあらざるもの、つまり言語を否定したものというニュアンスがその表現に含まれている点なども指摘された。オレンジという食べ物を使ったリズム運動のために、ボールを受け渡すのとは違った感覚であった。
(関西学院大学 中川慎二記)

セッション(B)

グループの身体運動、リズム運動を通してグループメンバー相互の理解を図り、異文化での適応を体験研修するという内容であった。目的を達成するために(1)Theme
(2)Movement (3)Reflection (4)Discussion/Sharingの4つの過程をたどるということの説明があった後、参加者で実際にこの過程を体験した。初めに、氏から「コミュニケーション」というテーマが与えられ、参加者でそのテーマに関するキーワード、「非言語」「理解」「伝える」・・等のブレインストーミングを行った。次にオレンジを使った身体運動や、速度を変えたリズム運動を行い、その後、運動の過程で感じたことや気づいたことを各自振り返り、メモを取り、意見交換やディスカッションを行った。身体運動、リズム運動の過程で感じた無意識とも言える感情を、知覚化することによってなし得る異文化適応研修について討論がなされた。
(南九州短期大学 竹内千春記)



                                                                         


        オプショナルプログラム「ベトナムの夕べ」

講師樋口容視子氏から、まずベトナムという国と国民性についての紹介がなされた。その後きわめて貴重なビデオおよびスティール写 真が上映され、人々の日常生活や結婚の儀式、更には、南から北への汽車による旅の様子など様々なベトナムの風景 が紹介され、参加者の目が最後まで釘付けになった。

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