異文化コミュニケーション研究所
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10回目の「異文研夏期セミナー」 小林路義

A Brief Comment on the 10th Ibunken Summer Seminar

The 10th Seminar has provided the well-balanced and substantial sessions, based up on the preceeding trials. It remains to be studied how the micro-level of intercultural communication is to be connected with the macro-level of cultural structure.

 日本における異文化コミュニケーションという分野の成立の草創期に、偶々その砂かぶりにいた者として、「異文研夏期セミナー」が大きな節目の10回目を越えたことには、感慨深いものがある。異文化コミュニケーションの研究と教育の方向性について、今尚、様々な模索が続いているとは言え、この十年間の異文化コミュニケーションの分野の充実は、裏質ともに相当なものがあり、それがこの第10回セミナーにも充分反映されていたと思うからである。

 このセミナーの最初の頃、我々が気づいていた問題点は、(1)異文化コミュニケーションの対象を如何にして、アジアや第三世界へ拡げるか、(2)コミュニケーションはその性格上、どうしてもミクロ・レベルに留まりがちだが、これをどのようにして、マクロな文化的構造や文明論と繋げることができるか、 (3)日本的なコミュニケーション・スタイルを異文化コミュニケーションの理論構築にどのようにして活かすことができるか、(4)インターネットなどの新しいメディアをどのようにして、異文化コミュニケーションの問題として取り込んだらよいか、といったようなことであった。

 (1)と(4)については、ここ3〜4回様々な試みがあり、(3)についても何度か議論されており、それらを踏まえて、今回の第10回目が、全体としてバランスよく、かつ、個々の分科会の内容も、10回目という節目にふさわしい充実度を示したと言ってよいと思う。

 問題は(2)だが、今回のアリフィン・ベイ氏の基調講演は、異文化コミュニケーションと文明論的視野とをどのように結びつけることができるかという、完成度の高い一つの試みであったと思う。グローバリゼーションを異文化コミュニケーションの立場からどのように捉えるかと言われて、それに応えられる人はそう多くはないだろう。氏がその基調講演のタイトルを The Taming of Globalization として、Taming という言葉を使ったところに、氏の解答がある。

 我々は異文化適応や異文化、自己文化への気づき、文化的差異については強調するが、いずれも‘ミクロ・レベルで’である。また、異文化への洞察が必要だとは言っても、言うだけでそこで留まっている。しかし異文化コミュニケーションを進めていけば、どうしても異文化のマクロな文化的構造に立ち入らない訳にはいかない。それをどのように明らかにしていくか、10回目という節目のセミナーを終えた我々の今後の課題である。
(鈴鹿国際大学教授、Professor at Suzuka International University)

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