「東アジアの中の日本」が進むべき道。ダイナミックな発展の場となった東アジア地域が「東アジア共同体」へと向かうために、いま、日本が持つべき構想力を提示する。
はじめに
一 1980年代後半までの国際文化交流の展開
- 1951―72年:国際社会への復帰から国際文化交流の開始へ
(1)国際社会への復帰と情報文化局の設置 (2)国際的プレゼンスの増大と外務省文化事業部の新設 (3)一方的な「日本文化の海外紹介」と欧米偏重
- 1972―86年:国際交流基金の創設と国際文化交流の本格化
(1)国際交流基金の創設と東南アジア志向 (2)アジアの重視と中国の登場 (3)ODAの投入と国際化ブーム (4)日本のジレンマ:歴史認識をめぐる軋轢
二 1987―92年:国際文化交流の転換と強化
- 世界貢献を目指す国際文化交流
(1)文化外交の本格化:竹下首相の「国際協力構想」 (2)「国際文化交流に関する懇談会」の設置 (3)国際文化交流の本格的拡大
- 「文化協力」と「域内交流支援」の芽生え
(1)東南アジア大型文化ミッションと国際交流基金アセアン文化センターの設立 (2)「第3国間交流」の開始
- パートナーシップによるグローバルな役割の志向へ
(1)日米センターの誕生と域内協働の志向 (2)新たな「知的交流」の登場
三 1992―96年:「アジア太平洋コミュニティ」の志向と静かな胎動
- 「アジア・太平洋」の志向とアクターの多様化・重層化
(1)第2次「国際文化交流に関する懇談会」の設置 (2)地域交流と民間交流活動の伸張
- 歴史をめぐる軋轢と「和解」の試み
(1)日韓交流の実態的な拡大と軋轢 (2)日中交流の停滞と変化の兆し (3)「東アジアとの和解」の試み:平和友好交流計画
- 東アジアを軸とする知的交流の本格化と域内交流の活発化
(1)「アジア太平洋」と「アジアと欧州」:APAPとCAEC (2)「アジア域内」:国際交流基金アジアセンターの設置 (3)多国籍文化ミッション
四 1997年以降:「東アジア・コミュニティ」の志向
- 「東アジア」の熟成と「和解」への一歩
(1)「ASEAN+3」から「東アジア」へ:知的・人的交流の重視 (2)「和解」への一歩:21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップ
- 未来志向の努力
(1)日韓関係の劇的転換:「2002年日韓国民交流年」 (2)漂泊する日中関係:「2002年『日本年』『中国年』」 (3) 国民交流の試行:「2002年日中韓国民交流年」と「日本ASEAN交流年2003」
五 戦後日本の国際文化交流の潮流と今後の課題
- 戦後日本の国際文化交流の基本的潮流
- 今後の課題
おわりに
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