異文化コミュニケーション研究所
    Intercultural Communication Institute

 
ビデオ上映会

タイトル

スマトラ沖震災:被災地の状況と人々の暮らし

司会

奥島美夏(本研究所講師)

日  時

2005年5月31日(火) 17:00〜19:00(開場16:30)

場  所

ミレニアムハウス

入場料

無料

資料提供

インドネシア文化宮(GBI)、『スランビ・インドネシア』紙、メトロTV

左 ビデオ上映会の様子
右 会場ではアチェ・コーヒーの試飲会も開かれました。
  インドネシア語専攻の学生たちがコーヒーを入れました。

 上映会報告

 世界を驚愕させた2004 年末のスマトラ沖地震は、死者と今なお行方不明の人々もあわせて約24 万人の被災者を出したといわれる。震源地最寄りのインドネシア・スマトラ島北部のナングロ・アチェ・ダルサラーム州(旧アチェ特別州)は発生した津波によって十数万人が死傷し、その他マレーシア、タイ、スリランカなどのインド洋沿岸諸国にも大打撃を与えた。最大被災地となったスマトラでは、何ヶ月にもわたる余震と住民の避難生活が続き、これに翌年3 月のニアス島地震などの震災も重なっている。
 本展示会は、アチェの地元新聞‘スランビ・インドネシア’ による映像資料と、アチェ人画家マフディ・アブドゥラ氏による風刺漫画や被災児童たちの体験にもとづく絵画を公開し、被災状況を日本にも広く知らせるとともに、支援を呼びかける趣旨で開催された。展示期間中には、インドネシアの24 時間ニュース放送局・メトロTV から提供された、被災後のアチェ市街地や救援ボランティアたちの様子を収録したニュース・ビデオの上映会も、アチェ・コーヒーの試飲とともに行なわれた。
 これらの映像資料や絵画からは、美しい民族衣装を着た人々の祭典や日々の生活、重厚なモスクや貴重な古文書の保管されていた図書資料機関などが、一瞬にして想像を超える津波に襲われて崩壊した様子も含めて、被災直後の人々の恐怖と喪失感、深い悲しみなどが伺われる。さらに、風刺漫画からは長年の圧政と内戦に疲弊するアチェの政治情勢を、ニュース報道からは被災児童を引き取りに訪れた親族を装う誘拐、とくに15〜25 歳位までの若い女性の連れ出しが相次ぎ、こうした震災時にすら暗躍する‘火事場泥棒’ や人身売買の組織犯罪など、日本ではあまり報道されていない貴重な現状もうかがえる。学内外から訪れた参加者には、ブルドーザーで瓦礫とともに掘り出される遺体に無言で見入る学生たちや、無気力に襲われる老人や誘拐の危険にさらされた子供たちを守りたい、自分の地元や所属機関でも展示会を開催したい、などと申し出る者もあった。
 資料提供元のメトロTV 東京支局はインドネシアの最新ニュースや各地の民族文化などを紹介する情報発信基地‘インドネシア文化宮’ もプロデュースしている。また、スランビ・インドネシア新聞はアチェの州都バンダ・アチェで発行されている地元最有力紙であり、今回の津波で本社が半壊、社員のおよそ3 割(59 名) が死亡・行方不明となった。これらのメディアが支援活動に立ち上がり、現地の子供たちを物理的・精神的にケアする絵画指導とコンクール、出版物刊行などを、日本でもインドネシア文化宮を通じて全国30 箇所近くで展示会や募金活動を行っている(義援金の趣旨・送付先については下記のウェブサイトを参照)。
 インドネシアでは19 世紀末以降、各地で断続的な地震に見舞われ、とくに1990 年以降は死者・行方不明者数千人を出したフローレス地震、通貨危機や政情不安とあいまって暴動をひきおこしたジャワやスラウェシの地震などが相次いでいる(地図参照)。これは地震大国の日本にとっても他人事ではなく、神戸震災(1995 年) や新潟県中越地震(2004 年) などの記憶はまだ新しい。このスマトラ沖地震をきっかけに、日本は本格的に世界と連携した防災システムの構築にも乗り出した。世界で危機管理への意識が急速に高まるなか、臨海地域に立地する本大学もまた対応策を急いでいる。

〈参考〉
インドネシア文化宮 http://clik.to/GBI
スランビ・インドネシア新聞社 http://www.serambinews.com/


  異文研HOME