タイトル |
記憶の表象−ヒロシマ・ナガサキを考える |
講 師 |
ジェームズ・ドーシー 氏 (米国ダートマス大学准教授・神田外語大学客員教授) 青沼
智 氏 (神田外語大学国際コミュニケーション学科教授) シルビア・ゴンザレス氏 (神田外語大学スペイン語学科准教授) |
司 会 |
ギブソン松井佳子 (本学英米語学科教授・本研究所副所長) |
日 時 |
2008年11月4日(火) 17:30〜19:30 (開場:17:00〜) |
場 所 |
ミレニアムハウス |
原爆の記憶はさまざまな形の表象として話され、書かれ、描かれ、伝えられ、そして創られてきたが、究極的にそれは筆舌につくしがたい表象不可能性を顕現させることになった。記憶は時とともに薄れ、惨劇の風景は日常の中へと吸い込まれていく。しかし、人間の歴史には忘れてはならないこと、決して風化させてはいけないことがある。
このシンポジウムでは、いまヒロシマ・ナガサキをどのように語ればよいのかについて考える。3名の先生方の提題をふまえ、学生代表2名とともに意見交換をしたい。 講師からのメッセージ
ジェームズ・ドーシー 氏 「書けないことを書く―小説や漫画にみられる原爆」
井伏鱒二の『黒い雨』は卓越した原爆小説である。しかしこの作品は爆撃自体というよりも、むしろ1945年8月6日の原爆投下およびその直後の主人公重松の家族の生きざまをえがくことによって、原爆の恐怖をなんとかおさえこもうともがき苦しむ闘いを表現しようとしている。だが当然この試みは失敗する。しかしこのことは井伏の小説さながらともいえるこの未完の記録によって、わたしたちは重松や井伏がなしえなかったこと、すなわち<完成させる>という希望を携えながら原爆と向き合うこと、をよぎなくされていることを意味する。そして漫画というまったく異なるジャンルにおいて、中沢啓治の『はだしのゲン』はこの問題をとりあげている。
青沼 智 氏 「原爆の記憶―表象の危機と戯れの倫理/論理」
「昨日より、ラジオ・新聞・情報機関が声をそろえて原子爆弾についてやかましく報道してくれているおかげで、事体は皆の知るところとなっている。熱狂的なコメントが次々と続く中で、われわれはサッカーボールくらいの大きさの爆弾が、中規模の都市を完全に破壊することができるということを知らされたのである・・・テクノロジー文明はついに、その野蛮性という点でその頂点にのぼりつめたのである。」「原爆固め」「アトミック・ドロップ」「鉄腕アトム」「裸足のゲン」「広島の核弾頭 野村謙二郎」「アジアの核弾頭 原博美」「ボンバーヘッド 荒川恵理子」原子爆弾を巡るこれらの言説について、みなさんと一緒に考えていきたい。
シルビア・ゴンザレス氏 「原爆の罠―暗い現実と明るい想像力」
ジャーナリズムができごとの詳細を書くことができないとき何が起きるのか? ジャーナリストが脅かされたとしたら? もし権力を持つ集団が真相を隠蔽したとしたらどうであろうか? 60年以上にもわたって、ジャーナリストたちはグローバル社会の中で原爆に関する正確な情報を明らかにすることで意識を高めるべく努力を続けてきた。数多くの真実が今なおジャーナリズムには隠されているが、芸術パフォーマンスの力によって、世界のさまざまな地域から異なる光をうけて、核兵器をみるわたしたちの想像力が醸成されてきている。この明るい想像力ははたして核の暗い現実に届くのであろうか? |
講師紹介
ジェームズ・ドーシー 氏
19歳の時より日本語の学習をはじめ、ワシントン大学にて日本文学の博士号を取得。批評家・小林 秀雄や作家・坂口
安吾、また戦時中の文化に関する評論や記事を出版。2005年に日本図書センターより発行された『原爆写真 ノーモア
ヒロシマ・ナガサキ』の翻訳を担当。
青沼 智 氏
横浜市立矢部小学校卒。コミュニケーション学博士(Ph.D.)。アイオワ大学、ウェイン州立大学元アシスタントディベートコーチ。幕張在住。
シルビア・ゴンザレス氏 日本史博士号(El
Colegio de
Mexico)。新聞、ラジオ、テレビで、20年以上ジャーナリストとして活躍。アメリカやフランス、スペイン、ベネズエラ、日本の海外通信員。コミュニケーション問題、平和、人権に関する講義や書籍も出版している。 |
講演会報告 (奥島美夏、異文化コミュニケーション研究所)
本講演は、昨年度第50・53回講演会でとりあげた広島・長崎の原爆問題の反響を踏まえて、論議をさらに深める目的で再びとりあげたものである(『異文化コミュニケーション研究』20号、198-199、201-203頁参照)。
記憶は時とともに薄れ、戦争と原爆投下の事実ですら日常の中へと吸い込まれてしまうが、人間の歴史には忘れてはならないこと、決して風化させてはいけないことがある。だが、まさにその筆舌に尽くしがたい惨劇のために、原爆投下直後から約60年にわたる北南米・日本のメディアにおいて、さらに1995年に米国スミソニアン航空宇宙博物館で企画された第二次世界大戦終結50周年記念の「エノラゲイ」展示においても、さまざまな方向から直截的かつ総合的な描写・情報伝達を阻む力が働いていたことは上記2講演会ですでに報告された。
今回はこの圧力について、まず青沼氏が個々人の記憶と、社会的に共有される集合的記憶のレベルから解説した。いずれのレベルでも、人間は都合の悪いことをなるべく語らず、忘れようとする傾向がある。その結果、米国某高校のフットボールチーム「ボンバーズ」や日本のプロレス技「原爆固め」、あるいは有名な手塚治虫のロボット漫画『鉄腕アトム』など、「力」「破壊」「一撃必殺」といったイメージをポジティブな文脈で引用する例は数多く登場したが、肝心の一都市の壊滅や被爆者の苦悩については非常に限定的な言説のあり方にとどまるという現状を生み出したのである。
次に、当然ながらこうした状況に拍車をかけた制度的圧力についてゴンザレス氏が報告した。原爆投下は本来「20世紀最大のニュース」となるはずであった大事件であったにもかかわらず、実際は米国を中心とする諸圧力団体が全面的に報道を規制・検閲し続けたため、誤った情報とイメージが世界中に氾濫してきた。こうした問題に携わる各国のジャーナリストたちは、真実を知るために独力で調査を続け、一般市民にも自覚・社会参加を促すことに精力を注いでいる。ジャーナリズムにとどまらず、より広く影響力を及ぼすことができる文芸分野においても、例えばガルシア・マルケスやノーベル文学賞受賞者のホセ・サラマゴ、岡本太郎などの文学、サルバドール・ダリなどの絵画、シルビオ・ロドリゲスなどの音楽などが、フィクションや想像力を織り交ぜることによってより鮮明に、そしてより身近に原爆問題をとらえ訴えることに成功している。
原爆の記憶を風化させてはならない理由には、それが厳然たる史実であるためばかりでなく、今や格段の威力を備えた核兵器が世界の争点となっているためでもある。私たちは未解決の課題を把握し、再検討することによって、将来への教訓を引き出し続けなければならない。
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