異文化コミュニケーション研究所
    Intercultural Communication Institute

 
第45回 異文研キャンパス・レクチャー・シリーズ


タイトル

<シリーズ:多文化共生の未来とジレンマ>
ベトナム「子どもの家」 未来へのメッセージ

講  師

小山 道夫 氏  (NGO「ベトナムの『子どもの家』を支える会(JASS)」代表)

司  会

岩井 美佐紀 (本学国際言語文化学科助教授)

日  時

2006年6月28日(水) 17:00〜19:00(開場16:30)

場  所

ミレニアムハウス
 講師からのメッセージ
 1992年、ベトナム・ホーチミン市に4日間滞在した際、多くの「物乞い」の子どもや路上で寝ている子どもたちを目にした。ストリートチルドレンの存在に強い衝撃を受け、翌年「ストリートチルドレンを助ける」ためベトナムへ旅立った。それから13年間ベトナムに在住しつつ、国外追放・軟禁など様々な困難の中、ストリートチルドレンを支えるNGO「子どもの家」や障害児医療センターなどを設立してきた。ストリートチルドレンの人間的自立・自活のための様々な取り組みを紹介する。また、ベトナムから見た今の日本についても話し合いたい。「ボランティア=道楽論」、「支援=利権論」なども提唱。
 講師紹介
 1947年、東京生まれ。ベトナム中部の古都フエを中心にストリートチルドレンの自立支援活動を行っている。活動の一環として、ピースボート、日本の各地方自治体の視察団や学生のスタディーツアーの受け入れも行っている。主な著書は『火焔樹の花−ベトナム・ストリート・チルドレン物語』(小学館、1999年)。2001年にはフエ市名誉市民賞を受賞。
■ NGOホームページ:http://www001.upp.so-net.ne.jp/jass/
■ 小山道夫火炎樹日記:http://koyamamichio.com/
 講演会報告 (奥島美夏、異文化コミュニケーション研究所)

 「ベトナムの『子どもの家』を支える会」(The Japanese Association of Supporting Streetchildren's Home in Vietnam;略称JASS)は、1992年にたまたま小学校教員の研修旅行でベトナムを訪れた講師・小山氏が翌年単身で現地に渡り、これを支援する同僚たちとともに立ち上げたNGOである。東西冷戦が続き、長期にわたって南北に分断されたベトナムでは、1976年の南北統一以降ベトナム国内外のボランティア活動が大幅な政治的制約を受けており、ベトナム人によるNGOや宗教諸団体も活動を禁止されている。海外から来た各種NGOも許可申請の便宜上北部のハノイ市に拠点を置くが、実際は南のホーチミン市周辺で活動するところが多く、これらの大都市圏から離れた中部地域にはほとんどNGOが存在していない。講師はあえてその中部に位置する古都フエ市で、「子どもの家」や障害児医療センターを13年にわたって運営してきた。
 ベトナムでは日本軍の敗退による独立からほどなくベトナム戦争が始まり、1975年に終結するまで混迷の時代が続いた。戦争や貧困の犠牲となってきた子供たちは、今も就職時に「親は(戦時中に)どっちについていたか」と尋ねられ、ベトコン(南ベトナム解放民族戦線)側であった者は能力がなくとも高い職位につく例も多いという。この構造からはじかれた家庭の子供たちがストリートチルドレンとなり、やくざなどの手下となって窃盗や売春に従事させられている。講師もそのような子供たちがフエに150人ほどいることを知り、連れて帰って面倒をみるようになったが、なかには気ままに暮らしたいがために再び家出したり、幼少期に受けた暴力や犯罪の記憶などがトラウマとなって寮母に暴力を働いたりする子供もいたという。「子供の家」は現在100名ほどの児童を支援しながら多忙な日々を送り、子供たち一人一人の成長や家庭環境、情操教育や就職などに心を砕いている。その他、ピースボートや日本の各地方自治体の視察団や学生のスタディーツアーの受け入れも行っており、2001年には功績を認められてフエ市名誉市民賞を受賞した。
 政府・民間とも日本人の支援諸団体が対象とするのは、ベトナムを含めた開発途上国である。小山氏はこれらの国々の多くでNGOが直面する問題「支援=利権論」、すなわち各国家政府との関係や支援活動への圧力・妨害について指摘する。長らく一党独裁が続いたベトナム政府の場合は政治的汚職や賄賂の横行が日常化している。こうした国々では、海外の支援諸団体は現地に外貨や雇用をもたらし政府にとっても重要な利権となるため、税金をかけたり、違法事項をでっちあげて資金や設備を接収したりすることもあるのだ。「子供の家」も警察などに電話を盗聴されたり、キリスト教などの少数派信徒をスタッフとして雇用していることで危険視されたりしているが、その対抗手段としては、世論を味方につけるべく年10回ほどテレビなどのメディアに登場して活動を紹介しているという。
 もう1つ、すべての支援機関が最終ゴールとする「現地民の自立」について、講師は当初の10年間の活動予定を延長したものの、近い将来の全面撤退に備えて、現地スタッフの育成やレストラン開設、就職にむけたミシン、コンピューター、オートバイ修理などの技術訓練施設の充実などに力を入れている。外国人スタッフがいなくなった後は、現地スタッフと子供たちが自力で運営し、政府や警察などの横槍もかわしてゆかねばならない。第三世界の人々における非営利活動の存続と展開は多くの困難が伴い、挫折する例も後を絶たないだけに、支援者たちが活動開始時からに視座にいれるべき最重要課題となっている。

<参考>
ベトナムの『子どもの家』を支える会(JASS): http://www001.upp.so-net.ne.jp/jass/
小山道夫1999『火焔樹の花――ベトナム・ストリート・チルドレン物語』小学館
 


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