異文化コミュニケーション研究所
    Intercultural Communication Institute

 
第44回 異文研キャンパス・レクチャー・シリーズ


タイトル

<シリーズ:多文化共生の未来とジレンマ>
イスラーム教徒からみた西洋社会

講  師

菊地 達也 氏  (一般教育専任講師)

司  会

奥島 美夏 (当研究所専任講師)

日  時

2006年6月6日(火) 17:00〜19:00

場  所

ミレニアムハウス
 講師からのメッセージ
 2005年9月にデンマーク紙が掲載したイスラーム教の預言者ムハンマドの風刺画は、世界各地で激しい反発と抗議運動をひきおこした。この問題は、西洋とイスラーム教圏の間の宗教的・文化的亀裂を浮き彫りにし、宗教への敬意と表現の自由のどちらが優先されるべきかという難問をわれわれに突きつけている。9・11事件以降、西洋社会ではイスラーム教徒に対する偏 見や蔑視が強まり社会問題になっているが、お互いが相手に何を求め、何に怒っているのかを理解しない限り、紛争や文 化摩擦がやむことはないだろう。本講演ではイスラーム教徒が西洋に対して抱いているイメージとそこに潜む問題点を明らかにしてみたい。
 講師紹介
 1969年、山形県生まれ。1998年、東京大学大学院人文社会系研究科アジア文化研究イスラム学専攻博士課程修了。博士(文学)。主な著作は『イスマーイール派の神話と哲学』(岩波書店、2005年)。
専門分野はイスラーム思想史。
 講演会報告 (奥島美夏、異文化コミュニケーション研究所)

 2005年9月にデンマーク紙が掲載したイスラーム教預言者ムハンマドの風刺画は、9.11事件(米国同時多発テロ)以来欧米に広まったイスラーム・フォビア(イスラーム嫌い)への反動もあって、世界各地に激しい反発と抗議運動をひきおこした。この問題は、西欧とイスラーム教圏の宗教的・文化的亀裂を浮き彫りにし、宗教的価値観と表現の自由の相克という多文化社会の根源的問題を突きつけている。
 イスラーム教徒は一枚岩であるかのように思われがちであるが,居住地域,民族,階級などによってイスラーム教徒個々人の考え方は多様である。特に「西洋」に対する態度は個人差が大きく,両義的であることも多い。たとえば,留学や労働のために西欧に移住したイスラーム教徒や、中東に住み続けながら西洋的生活・教育を経験した「進歩的な人々」は、西洋社会の価値観や国家制度を少なくともある程度把握している。よって、上記のムハンマド風刺画問題に際しては、彼らの多くは「自由も無制限ではなく、宗教の尊厳を考慮すべきである」と主張したものの、謝罪を要求する対象は現地社会やデンマーク政府ではなくあくまで新聞社と考える者もいたし、抗議運動だけでなく現地社会との対話をはかることに努力する者もいた。これに対して、中東のより一般的なイスラーム教徒や一部の原理主義者は、西洋社会に関する基礎情報が不足していることから、自国の政治・社会状況を基準にして「西欧の国家・社会がイスラーム教徒を差別・攻撃した」と判断する主張や流言に左右されやすいようである。
 講師の菊地氏によれば、このような認識のずれを考える場合には、中東社会の被支配経験とそのなかで培われた西洋に対する屈折した思いに目を向ける必要がある。中東における近代化は、西洋、とくに英米による植民地化/西洋化と同時期に進行し,両者の境界線は見えにくくなっている。すでに「西洋化」した国々では、西洋に由来する物質文化を享受し,西洋のより豊かな社会に憧れを感じつつも,かつては世界の中心であった自分たちの社会がそれを生み出せなかったこと,西洋の風下に立っていることに屈辱感を抱く者も多い。また、中東諸国の大半は独裁権力が支配しており,報道統制などがおこなわれ、メディアにおける他国への批判とは対照的に自国政府や宗教に関しては否定的言説がみられない。これに閉塞感を覚える者がいる一方で、このような状況の副産物として,キリスト教徒やユダヤ教徒に関する陰謀説が,日本では考えられないほどに社会的な力を持ってしまっている。中東の一般大衆が,西洋に由来する文化を享受しながらも,西洋の実情をあまり知らないのは,そのせいでもある。
 中東で反米感情が強まるのは,第3次中東戦争(1967年)以降,アメリカがイスラエルへの支援を強化してからであった。その後、アメリカが1991年の湾岸戦争、2001年のアフガン侵攻、2003年のイラク戦争と軍隊をイスラーム圏へ進めると,反米感情が強まり,アメリカへの怒りは鬱積し恐怖感が高まる。こうして,西洋全体に対する憧れと反感にアメリカへの怒りと恐怖が付け加わった。一方,この時期は中東でイスラーム原理主義が社会的,政治的に伸張していった時代でもあった。アメリカの中東政策に不満を持ちながらも,その圧倒的な力に恐怖するだけであった中東において,ビン・ラーディンへの支民衆の持がある程度集まった理由の一つには,彼が復讐を唱えて敢然と恐るべき超大国に立ち向かったことがあるだろう。
 ビン・ラーディンの主張の原点は、1949年にアメリカに留学し同国の物質主義と堕落を批判したエジプト人原理主義者サイイド・クトゥブ(1966年処刑)にある。クトゥブが西洋文化を否定したのは,西洋文化に無知な「東洋人」だったからではなく,西洋文化を十分に知ることができるエリート層に属していたからである。アル=カーイダの指導者たちの多くも同じような立場にあった。反西洋主義を喧伝する勢力も,西洋文化とイスラーム文化の橋渡しをしようとする在欧イスラーム教徒も,西洋を知っているイスラーム教徒である。西洋とイスラーム教圏との関係を左右するこの層には,今後も注目していかなければならないだろう。

<参考>
池内恵2002『現代アラブの社会思想:終末論とイスラーム主義』講談社現代新書
内藤正典2006『イスラーム戦争の時代:暴力の連鎖をどう解くか』日本放送出版協会
西野正巳訳編2006『ニュースの裏側がよくわかるイスラム世界の人生相談』太陽出版
 


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