今年で13回目を迎える日本コミュニケーション研究者会議は、5月19日(土)と20日(日)の両日にわたって、初夏の日差しを思わせる陽気の名古屋の南山大学で開催された。本年度のテーマは、「日本におけるコミュニケーション研究の回顧と展望」で、一日目は回顧を中心としたシンポジウム、二日目は展望を見つめた研究発表という形式で行われた。この研究者会議の特徴として、質疑応答や討論に時間をかける為に、参加者が前もってレジメを読んでくる事が義務づけられている。
シンポジウムでは、石井敏氏(獨協大学)、今堀義氏(西南大学)、中澤美依氏(平安女学院大学)、そして、五島幸一氏(愛知淑徳大学)の4氏がそれぞれの研究分野から提言をした。
まず、獨協大学の石井敏氏はアメリカ中心で発達してきたこの分野の性格を踏まえながら、日本における異文化コミュニケーション研究の現状認識と、問題点の提示をした。それによると、まず1)アジア圏文化に基づく研究と学術的貢献、2)通時的―歴史的流れを考慮に入れた研究、3)近隣アジア諸国の研究、4)アメリカで取り上げられているような、内なる異文化問題の研究、等が日本の現状では欠けていることが指摘された。
次に、西南大学の今堀義氏は対人コミュニケーション分野の現状と分野の定義の面から疑問を投げかけた。日本と欧米との自己観の概念の違いを元に、「対人」という捉え方よりも「間人」、或いは、「関係学」と呼ぶ方が、日本独自の文化に合った対人コミュニケーションの考え方に近いのではないか、と提言した。また、欧米の概念の枠組み以外で発達してきた、「自己開示」や、「面子操作」、等の概念に言及した上で、さらに、既成の理論に振り回されない研究の必要性を説いた。そして、カルチュラル・スタディーズやEmicの観点より、文化の内側から研究をしていく重要性を提言した。
そして、平安女学院大学の中澤美依氏は、日本におけるコミュニケーション学を教育の面から振り返った。子供の成長過程におけるコミュニケーションのあり方の矛盾を指摘し、発達心理学分野との合同研究を紹介した。今後とも他分野との協力による研究の成果が、教育の現場で生かされることの重要性を示唆した。
最後にメディアコミュニケーション分野から発題した、愛知淑徳大学の五島幸一氏は、日本におけるメディアコミュニケーション研究の動向を統合的にまとめた。近年、飛躍的に発達した分野であるが、トピックからみた時代別の特徴など、歴史的推移が理解できる発表であった。
第二日目は、三人の研究者による、各分野の研究領域と手法の個別発表が行われた。まず、慶應義塾大学の杉本なおみ氏(「対人・異文化コミュニケーション研究の領域と手法」)は、氏が携わっている医療機関でのコミュニケーション教育について、現状の報告と今後の方向性について提言した。実務が主体の医療現場においては経験則が重視されているが、コミュニケーション理論を裏付けることにより、具体的な教育体制を確立していく必要性を唱えた。特に、医者と患者の対話の改善が求められている現状においては、まだまだ、研究の蓄積が必要である、という意見であった。
次に獨協大学の板場良久氏(「レトリカル・コミュニケーション研究の領域と手法」)は、研究方法が多様化しつつある現状を解説した。板場氏は、Robert
Craigの論文を引用しながら、他分野の研究手法や思想に基づく多様な研究領域が弁証法的な対話関係におかれることによる、レトリック研究の存続の意義を唱えた。
最後に発表をした、北海道大学の鈴木志のぶ氏(「組織コミュニケーション研究の領域と手法」)は、研究手法の歴史的推移を解説した。80年代後半から、調査方法が描写法から批判的方法論へと移行してきたこと、情報テクノロジーの急速な発展に伴う研究テーマの変化等、例を交えながら紹介した。また、研究対象である組織の協力が得られにくい現実に関して、参加者との意見交換が行われた。
両日の各セッションの後には、活発な意見交換がなされた。その中でも、教育機関において、コミュニケーションという学問の位置付けがまちまちであること、また、社会においても、英会話や技術的な側面がコミュニケーション学というイメージが普及しがちである現状が、取り上げられた。専門研究領域や教育機関での立場が異なる様々な研究者が一堂に集まり、意見を交換する本会議は意義が非常に高いと言える。コミュニケーションという言葉が安易に使われだした今だからこそ、コミュニケーション研究、及び、教育における方向性を見出していく機会が、さらに重要となってくるであろう。
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